愛媛県アーチェリー協会
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愛媛県アーチェリー協会のあゆみ
愛媛は四国の北西にあり、霊峰石鎚山を頂く四国山地を背に、海岸線は全国5位の1,625kmに及び、大小164余の島々が点在する。
市の中心街に昭和38年にインドアのアーチェリー場ができた。当初は殆どアーチェリーを会する者も少なく興味本位であったが、日増しに静を好み、心にスポーツ・アーチェリーを理解する愛好者も数を増し、昭和40年には競技会をしようと言う所までになった。
今治市でもクラブができ、又、新居浜市では現副会長の重田稔氏が会社の敷地を提供、新居浜市アーチェリークラブを結成しその普及に努めた。
昭和44年5月1日有志が結束、愛媛県アーチェリー協会を設立し、県内に新居浜、今治、松山、大洲の4支部を結成、各支部挙って愛媛アーチェリーの普及、底辺拡大に努めた。
昭和44年7月には晴れて全日本アーチェリー連盟に加盟した。
昭和49年7月愛媛県アーチェリー協会は愛媛県体育協会に加盟することができた。
昭和49年北条市の北条青少年スポーツセンターで、中四国アーチェリー大会を開催、初めての大きい大会に中四国より多くの選手が参加した。
昭和51年4月1日県協会の機構を一新、細長い愛媛県では競技会の会場まで5時間もかかる者もあり、年10回の競技会を順番に主管、県下各地で広く普及する事にした。又、成績もだが一人でも多く参加する事が大事と、協会表彰に皆勤賞、精勤賞を作った。又支部毎に独特の賞品を準備したり、冬場は別個にアニマル・ターゲット競技を計画、多くの会員が参加する。
昭和53年現会長貞本和彦氏が2代目会長に就任、貞本会長は松山氏の貞本病院長で脳神経外科では有名で、MRIを改良した新しい脳血管検査法を開発、外国でも発表講演をしている。
昭和54年栃木県の国体記念競技会に愛媛から成年男子に参加した埜下 正選手は、3点差で6人がひしめき合う大接戦の末、1点差で見事個人優勝を果たした。6人中一番キャリアが浅く、全く無名の埜下選手は、これまでの記録633点を22点も自己記録更新して655点(311-344)を出し会場をあっといわせた。
そのことが愛媛アーチャー達に『やればできる』という、大きい活力になった事は確か、アーチャー達に、競技力向上を再認識させた。
そんなこともあり昭和55年には車椅子などの身障者も参加するようになった。松山市道後には立派な身障者福祉センターがあり、協会役員でもあるセンターの渡部和典指導員が色々努力して、身障者スポーツにアーチェリーを取り入れアーチェリー施設もできた。
最初の講習会には60名以上の参加があり思わぬ盛会だった。勿論協会員も喜んで協力した。現在県協会登録数74名中13名が身障者協会員である。
昭和55年愛媛県身体障害者アーチェリー協会を結成、日本身体障害者アーチェリー連盟にも加盟した。会長の菊間町梶原慶次郎氏は当初から活動、県アーチェリー協会の菊間支部を発足し、又個人の土地を提供した上90mも射てるアーチェリー場『あばらこ射場』を完成した。
身障者仲間でいち早く始めた篠原司朗選手は、昭和60年鳥取のわかとり国体県予選に車椅子で参加、見事健常者を破り国体切符を手に入れた。
本大会では全国6名の車椅子選手の内2位の成績で健闘した。
菊間支部が発足前後、大洲支部が廃部になり、宇和島支部と又川之江支部が発足、これで現在の6支部ができお互いに活躍している。
話は前後するが、ひょっとした事で四国でも初めての全日本アーチェリー選手権大会を、愛媛県が昭和57年11月に受け持つことになった。中四国大会は主管した事はあるが全国大会など、どんな運営をするのかさっぱり分からないが、とにかく会場の確保が一番と前年10月に愛媛県総合運動公園サッカー場をなんとか確保した。準備、運営は前年56年度大阪岸和田市の全日本会場を役員数名で見学することにした。設備設営などを見て、大阪府アーチェリー連盟の方から色々指導を受け、運営の資料等も送ってもらった。
又55年の山口県からも資料を頂いた。先ず資金集め、会員手分けしての競技用具準備、審判員は四国他県から応援を頼み、大学部員に補助を依頼、ホテル、輸送バス等の手配もできた。
大会前日には全ア連の吉本辰生専務理事始め、各役員、選手100余名が道後入りした。
公開練習では暑いぐらいと思うと曇り、小雨、夜には雨で心配されたが、朝には雨も上がり安心したのもつかの間、結局大会2日間晴れ、雨、風で『なんとかと秋の空』の通り、大変な天候で選手諸君もさぞご苦労された事だろう。
運営の方は十分準備期間もあり、選手諸君には天候以外は一応満足された事と思う。結果は男子2連勝をねらった山本 博選手が2,517点で優勝し、女子は『一本一本ていねいにいけば・・・』と言った岡本英子選手が2,377点で優勝した。本県勢も男子で県出身の住田真一郎選手が13位、女子の木村ひかり選手も10位に入った。
ほとんどの選手が国体明けで練習不足の上、相当風に参ったようだった。又『風に左右されない射、いかに早く射つか、と言うことをもっと強く考えてほしい』との声もあった。何はともあれ無事日程を終えたことを感謝した。
愛媛も少しずつアーチェリー人口は増えているが、安心して射てる射場が完備されてないのと、今年は国体に少年女子を送ることができたが、男女共高校にクラブがないのが悔しい、色々努力はしているが今後この2件が最大の課題である。
(1996年 全日本アーチェリー連盟記念誌に掲載)
アーチェリー高体連のあゆみ
10年間を振り返って
アーチェリー専門部は、今治東中等教育学校(平成26年度創部)、北条高等学校(平成22年度創部)、松山東雲高等学校(平成19年度創部)の3校が平成26年度に加盟を認められた新しい専門部である。また、愛媛県高体連にアーチェリー専門部が加盟したことにより、平成28年度から四国高体連に加盟し、愛媛県が加盟したことで、同年から四国大会が開催されるようになった。数多くの方々のご尽力により、これまでに四国・全国大会で優れた成果を残している。
主な成績としては、全国高校総体において、個人では平成27年度に女子で奥村が優勝(松山東雲)、男子は平成28年度に長谷川(今治東)が3位。団体では令和3年度に女子が2位(松山東雲)、男子は平成29年度に男子で初の全国制覇(今治東)。3月の全国選抜では、平成26年度に男子個人で角田(北条)が2位、平成27年度に女子個人で阿部(北条)が5位、平成28年度にミックス戦で2位。国体では令和元年度の茨城国体で女子団体1位、女子個人で舟見(松山東雲)が2位、平成30年度の福井国体では少年男子6位など、毎年輝かしい成果を残している。また、年代別ナショナルチームに選手を輩出するなど、全国的にみても愛媛県のレベルは向上してきている。
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